第17章 鬼鮫と磯辺
「干柿さん」
牡蠣殻が呟いた。
小さな土手を一歩で下り、二人の側に立つと鬼鮫は牡蠣殻の腕を掴んだ。牡蠣殻は体を引いてそれを振り払う。
「待って下さい。私の血が着きます」
「私は怪我などしていませんよ」
牡蠣殻の顎に手をかけ、その顔を矯めつ眇めつして鬼鮫は眉をひそめた。
「案の定傷を負いましたね。無理をしないと言ったのは何処の誰でしたか。出来ない事を安請け合いとは、あなた、本当に仕様もない人ですねえ」
「何しに来たんだ、鬼鮫?フカのおっさんはどうした?ほったらかして来ちゃった訳?」
飛段がニヤニヤしながら聞くのに鬼鮫は素っ気なく答えた。
「もともと彼の護衛は今回私の関わるところではありません。目的は達したので元の通りイタチさんに託したまで」
「先生はどうなさいました?」
牡蠣殻の問いに鬼鮫は口角を上げた。
「教えると思いますか?」
「は?教えないつ・・・ぁだッ」
強烈な拳骨を食らって、牡蠣殻は頭を抱えてしゃがみこんだ。それを腕組みして見下ろし、鬼鮫は口角を上げる。
「砂の里の国境に向かいましたよ。あなたのところのふざけた影のよこした文に従ってね。彼の連れ合いは死別で出戻ったとはいえ、先代風影の弟に嫁いでいたのですね。深水さんとは二度目な訳だ。まさか砂と繋がりがあるとは思いませんでしたよ。磯も侮れないですねえ」
「・・・今の、殴るとこでしたか?」
頭を抱えてうずくまったまま、牡蠣殻が低い声を出す。
「俺も流石にそう思う・・・て、おいおい、牡蠣殻」
牡蠣殻の顔を覗き込んだ飛段は、あらら、と、呟いた。俯いた牡蠣殻の足元に、ボタボタと黒い涙染みが落ちかかる。
「泣いちゃってんの?あーあー、鬼鮫ェ、女ァ泣かして何やっちゃってんだよ?ダッセェなァ」
「飛段、あなたもうお帰んなさい。この人は私が連れていきます」
鬼鮫に追い払うように手を振られて、飛段は肩をすくめた。
「これだよ。勝手だねえ。ハイハイ、わかりましたよ。隅に置けねェな、え?鬼鮫ェ」
「飛段」
行きかけた飛段に鬼鮫が声をかける。あ?と顔を上げた飛段を見返すこともなく、うずくまる牡蠣殻を見下ろしたまま、
「世話をかけましたね」
低く言う。
飛段はちょっと顔をしかめたがにやりと笑った。
「構わねェよ。仕事だしよ。支払いよろしくな、鬼鮫」
面白がっているような声を残して飛段は消えた。