第11章 飛び出る災難
これをどうすべきか。
音に狙われている今、廃棄が一番の良手。でなければ、波平に委ねるか、牡蠣殻に委ねるか。
干柿鬼鮫に渡す手は考え辛い。
立場とその現状からして、他人の生殺与奪に関わるものを彼に渡すべきでないのは明白だ。 それでなくとも深水はもう二度間違いを犯している。三度目を数えたくはなかった。
だが。
あの大男は牡蠣殻に構う。
悠長に手紙のやり取りをし、デグの跡をつけて磯まで出向き、牡蠣殻の医師である深水に興味を持ち、傷付けるが治すやり方を知りたがり、延々と減らず口に答え続ける。
"思うと随分忍耐強い"
我知らず、顔が綻んだ。
"信用出来ぬ訳ではない。でなければ依頼しようと思い立ちはしない・・・惜しむらくは来し方そして行く方・・・"
「・・・先生、何を笑ってらっしゃるんです?」
牡蠣殻の声に深水は物思いから覚めた。
「ああ、笑っていたかな。いや、独り笑いだ。気にするな」
「最近よく笑われるようになりましたねえ。杏可也さんとお子さんのお陰でしょうか。余録で以前より男前になられたようです。杏可也さんが惚気けておられました」
「子の出来たせいもあるかもしれぬが、この歳になって一つ、漸くわかって来たことがあってな。聞くか?」
「是非」
「はは、そう構えるな」
深水は苦笑して、教え子の一見真面目そうな顔を見た。これで口を開けば戯れ言ばかり。面白いヤツだ。そう受け止める余裕が、ずっと深水にはなかった。
「私は己れの顔が恐ろしいのが怖かった。それ故に顔色の一切を消そうと思い決めてしまった」
無いことにしようとした。それもまた偽らざる己れだったのに。
「だがな、笑っておれば良かったと、一度笑み溢れるとそう思えるようになってきた。短気が怖ければ、息を吐いて笑っておれば良かったのだ。偏屈でいる必要はなかった。我慢一方では我が身一つさえ御しきれるものではない。私は私にも周りにも優しくなかった」
杏可也。自分なりに大切にして来たが、思い及ばぬ我慢や苦労を強いてきたのではないか。
「悪くない事に気付いたとは思うが、さて、まだ間に合うものだろうか、どうだ、牡蠣殻?」
破顔一笑。
教え子は、春告げ鳥の声を聴いた蕗の薹の様に明るく笑った。