第1章 おとことおんなとこどもとおとな
バーに戻ると、店内はいつも通りの穏やかな雰囲気を保っていた。
・・・全て夢だったんじゃないだろうか?
そんな風にとぼけたくても、あたしの心臓がそれを許さなかった。
元の席に戻ると、マスターが水を出してくれた。
言われてみれば緊張で喉がカラカラになっていた事に気付いて、一気にそれを飲み干す。食道が急激に冷えたのが感じられた。
「・・・マスター。」
素知らぬ顔で、でも寄り添うようにいてくれたマスターに声をかける。
「あたしと悟さんが不倫関係だって気付いてました?」
マスターはいつもと違う真面目な顔で答える。
「えぇ、失礼ながら。」
「・・・ですよね。」
グラスを返すと、マスターはすぐ次の水を出してくれた。
「どう見ても年齢的におかしいですもんね。分かってました。」
冷えた体が水を拒否して、グラスを手に取る気にはならなかった。
「たとえ悟さんが奥様と別れてあたしと結婚したとしても、世間から見て年齢的にちぐはぐだし、会社にも後ろ指刺されるだろうし、無理な事は分かってました。」
懺悔のような聞き苦しい言い訳のオンパレード。マスターに聞かせるようでいて、その実自分に言い聞かせているのは見え見えだった。
・・・分かっていたんだ。誰も理解してくれない事は。
いくらお互いが本気で愛し合っていても、世間はそれを正しい事とは認めない。
まだ中学生の子供にさえ「騙してるに違いない!」と言われるんだ。大人はもっと酷い想像を広げるだろう。
だからあたしは多くを望まなかった。
悟さんが悟さんらしくいられるなら、部長や夫という重荷を忘れられるならそれでよかった。
そうやって悟さんが笑顔になったら、周りもあたしも幸せになれる。そう思っていた。
でも間違いだった。
悟さんは部長である前に、夫である以上に、子供達の父親なんだ。
それは書類上の拘束でも、気持ちの問題でもなく、何よりも果たさなければならない強い責任。
悟さんは高橋家の当主として、良き父親でいる義務があるんだ。