第1章 おとことおんなとこどもとおとな
きっと彼はこの1ヶ月の間、1人で悩み続けたんだろう。
父親が若い女に騙されているかもしれない。でも不倫なんて誰にも相談出来ない。このままではいつ家族が捨てられるか、あたしにめちゃくちゃにされるか分からない。
なのに自分達には何食わぬ顔で優しく振る舞う父親を、彼は敬愛もし憎悪もしたんだろう。
悩んだ末に彼は、自分の力だけで家族を守る事を選択した。
毎週のように人目を気にしながらバーまで通い、あたしが1人でやって来ないか、1人になるタイミングは無いかと様子を伺っていたんだろう。
その中で、もしかしたら悟さんとのデート現場を見る事もあったかもしれない。
どれだけ胸を痛めただろう。泣きたくなっただろう。あたしを憎み続けただろう。
それでも彼は愛する家族のため、父親のため、1人で全てを背負って来たんだ。
そんな彼は、お父さんがあたしと一緒になるのを望んでいる事なんて知らない。
あたしの左手薬指にはまっている指輪は、昨日お父さんがくれたものだなんて知るはずもない。
・・・このタイミングでこうなるなんて、神様は酷過ぎるよ。
「お父さんとは別れます。」
口にして、心臓がさらにひしゃげた。
でもそれが何だと言うのだろう?悪い事をしたのはあたしで、これは当然の選択なのだ。
「今まで申し訳ありませんでした。」
頭を下げる。弁明もしない。土下座でも何でもしよう。顔なんて見れなかった。
「・・・絶対だぞ。」
震えた声が聞こえたと思ったら、すぐに泣き崩れる嗚咽が聞こえて来た。
彼にのしかかっていた重荷が全て落ち、緊張の糸が切れたんだろう。とてもじゃないけれど頭は上げられない。胸が痛い。
「俺の事は、父さんには・・・話さないで・・・絶対・・・。」
切れ切れに懇願が聞こえて、ジャリッと小石を踏みつける音がした。
息子さんは踵を返して、悪夢から逃げるように走り去って行った。