第1章 おとことおんなとこどもとおとな
扉のノブに手を置くと、振動で扉のチャイムが澄んだ音を奏でた。
「小島様。」
呼び止められて扉を開く手を止める。振り返るとマスターがカウンターの向こうであたしを見つめていた。
何よ、早くしてよ。あたしは一刻も早くここを飛び出したいって言うのに。
マスターはいつもの笑顔になって、ゆっくりと口を開く。
「あなたが高橋様を騙していなかった事は、お二方を間近で見ていた私が存じております。」
マスターは笑顔でさらに続ける。
「誰の目から見ても、確かにあなた方は強く深く愛し合っておられました。」
何かが切れる音がした。
「純粋に人を愛し、人を思いやり、身を引く小島様は誰よりもかっこいいですよ。」
息子さんの顔が思い浮かんだ。
「優しいあなたならきっとこれから先、どこへ行っても幸せになれます。」
マスターの笑顔が歪んで、堪えていた感情が胸を突き破った。
「・・・マスター。」
子供のような嗚咽を上げたまま懇願する。
「悟さんの事・・・よろしくお願いします。」
これからあたしに傷付けられる悟さんを、あたしの代わりに、どうか。
「お任せください。」
嗚咽の途切れ途切れに、マスターがそう言ってくれたのが聞こえた。
出口を開いて、最後に一度だけと店内を見渡す。
床に転がった指輪が光を失ったまま、まるで迷子の子供のようにあたしを見上げていた。
あの指輪は悟さんに返されるんだろうか?
それともこのままゴミと一緒に、まるで何も無かったかのように捨てられるんだろうか?
いや、指輪を捨ててしまったあたしにはもう関係無い。
所有者のいなくなった指輪同様、あたしも1人で生きて行かなきゃ。
・・・愛していました。
何も付いていない自由な左手で感情を拭い、あたしはお店を後にした。