第7章 幸せの名前(茂庭要)
一人暮らしの1K。玄関とキッチンと浴室のドアが同じ空間内に存在している狭い間取りで、私達は会話を重ねる。
「最近、俺のクラスで風邪ひくやつが増えててさ、」
「そうなの?こっちはそんなに流行ってないよ」
「そう言って油断してる人間が、風邪菌もらってばらまくんだよ。気を付けろよな」
がらがらがら、とうがいの音が聞こえ始める。私は肩をすくめて、2つのコンロに火を付け直した。
要は私より1つ年下。だけど兄か母かのようにあれこれいつも心配してくる。他人の身体は気遣えるくせに自分のことにはとんと疎くて、コートも忘れて遊びにきちゃうような要の方が、絶対先に風邪ひくだろうな。
まぁでも、大切にされることは嬉しい事だ。と、気を取り直して調理の続きにとりかかる。炭水化物、と呟きながら小麦粉を加えて、木べらで手早くかき混ぜた。だまができないように、混ぜて、混ぜて、牛乳を少し加える。牛乳はもちろん、なんと言っても
「タンパク質とカルシウム」
「あ、また言ってる」
背後から要の声がしたかと思うと、後ろからぎゅっと抱きしめられた。いつのまにかブレザーを脱いでYシャツになっている。
「大学で栄養学を学ぶなまえさんにとって、グラタンとはずばりなんでしょう?」と頭の上から声がしたので、「カロリーがちょっと高いかな」と残りの牛乳を投入しながら答えておいた。「やっぱりお豆腐使って、カロリー半分にすればよかった」
「そんな、勘弁してよ。バレー部はもう引退したし、就活も無事に終わったんだから、俺の好きなものくらい食べさして」
もうお腹ぺこぺこ。と迷子の子犬みたいな声がする。そんな要の、全盛期より少し筋肉の落ちた腕の中にすっぽりと収まったまま、今度は生クリームを加えていく。木べらで生地をのばしていたら、「お腹ぺこぺこのぺこぺこって、なんでぺこぺこって言うんだろう」と要がぼんやり呟いた。「なまえ、それ、手作りホワイトソース?」
「うん。フランスでは通称ーーー」
「ベシャメルソース、だっけ?」
「ふふ、正解」
「よっしゃ。何回も言うから覚えちゃったな。そっちの鍋は?」
フライパンの隣のコンロで、コトコトと音を立てている片手鍋。勝手に伸びてきた腕が蓋を開けると、茹でた野菜のほくほくとした香りが漂ってきた。