第7章 幸せの名前(茂庭要)
「炭水化物」
ワンルームのキッチンに立ち、私は流し台めがけて鍋の中身をひっくり返した。
べこん、と響くシンクの音。
もくもくと真っ白な湯気が上へとあがって、あつあつの熱湯は、ざるの網目をすり抜ける。一気に湿度が上昇したキッチンに残されたのは、茹でたてのもちもちマカロニ。
「脂質」
そのざるの中に、切ったバターを放り込んだ。近くにあった菜箸でざっくりとかき混ぜたら、すぐに小さくなって消えてしまった。軽く揺すって確認してから、その菜箸で、コンロにかけたフライパンの中身を炒める。
バターは脂質、マッシュルームはビタミンB2。ローリエの葉は、風味付け。
薄切りにされた玉ねぎが透明から飴色へと変わり始めた。あらかじめ量っておいた小麦粉に手をかけたとき、ピンポン、と聞こえるインターホン。
火を止めて、左手にある玄関の扉を見た。それから冷蔵庫の上に視線をすべらせて、時計の確認。朝に連絡されていた時間よりも、ずっと早い到着である。
手を拭いている間にまた、ピンポン、と音が鳴る。はーい、と大声で返事をしてから、1つにまとめた髪の毛を軽く縛りなおした。玄関の方へ駆けていき、鍵とチェーンに手をかける。
「かなめ?」
開けたドアの向こうに立っていた恋人の姿に、驚いて名前を呼んでしまった。冬の足音が聞こえ始めた時期だというのに、制服のままの彼はコートも着ていない。
「久しぶり、なまえ」
言いながら、要はスン、と鼻を軽くすすった。それから、へにゃりと目元を細めて笑った。「とってもとっても、久しぶり」
「いらっしゃい。外、寒かったでしょ?」
「ん」
「赤くなってる」
右手を伸ばして、要の鼻を包んであげる。はは、あったけー、と彼がくすぐったそうに肩を揺らした。「なまえの手、バターと玉ねぎの匂いがするな」
「もうお腹空いてる……よね?ごめんね、まだもうちょっとかかりそうなの」
「大丈夫。早く来たのは俺の方だし……手洗いうがいしてくる」
そう言って靴を脱いで、彼はそのまま脱衣所の中へと消えていった。