第43章 ハネムーンでもリバティでもない(及川徹)
トオルの背中に身体を預けると、小さい頃を思い出すような、懐かしい香りがしました。
彼の腰を挟むようにして宙に投げ出されている自分の足が、小さい頃の記憶よりも長く、奇妙に感じられました。
重い?と彼の首に腕を絡ませて ひとつ訊ねると、
「そりゃ、人がひとり乗っかってるから」
その言葉の割には、足取りは軽快でした。
「それなりに重くて 御免なさいね」
けれども、ご機嫌を取るように優しい嘘を吐かれるよりは、よっぽどマシだったのかもしれません。私は、体重がトオルにかかりすぎないように身体を少しばかり自分で保とうと気を付けました。
深い群青色の天蓋に浮かぶ月に、雲が被さり、辺りは濃い闇に包まれます。
「気を悪くしたなら謝るよ。ごめんね。変な意味で言った訳じゃないんだ」
場違いなほど明るい声でトオルがゆったり喋ると、彼の鎖骨や喉の振動が私の腕に伝わりました。
「俺の家は、ふたりキョウダイでさ。揃って おかーちゃん子の甘えんぼだったから、俺の母親はふたりを一度に抱いてたんだよ。その時、『幸せの重みだ』って よく言ってた。
だからこれも、幸せの重み」
トオルは、にひひと笑いました。
私が乗っている背中も一緒に揺れて。
ふたりの子供に くっつかれるなんて、トオルのお母さんは大変だったでしょうね、と私は考えました。
けれど、きっとトオルは、そのお陰でたくさんの愛情を受けて育ったのでしょう。
私が一番ほしいものを、生まれた頃からもっていたのでしょう。
広い肩が頼もしく、いとおしく見えてきました。
「私は小さい頃、親と手を繋ぐのが嫌だったわ」
優しい揺れに眠気を覚えながら、私は彼の耳に向かって囁くように言いました。
「どうしてかわからないけど、誰かに触れていると、その場所から、私の考えていることが相手に伝わってしまうような気がしていたの。全部筒抜けなんじゃないか、って思うと、怖くて触れなかった」
「俺はいま、お姉さんをおぶっていて、何を考えてるか分からないけど」
「当たり前でしょう。小さい頃の妄想だもの」