第43章 ハネムーンでもリバティでもない(及川徹)
私はただ、全部忘れて、全部を心の火にくべて、ふわふわの雲の中 眠りに就きたいだけの純粋な心でいました。
けれど赤く滲むような足の痛みは、私が私を辞めることなど許してくれそうにありません。
そのうち、アルコールの力も借りて、もう靴なんて、という頭になるまで、時間はそうかかりませんでした。
靴なんて、何の意味があるんだろう。
私は考えました。
だって、ちっとも前に進まないのです。痛い思いをして歩いているのに。
靴なんて、いらない、
置いていこう。
私には健やかな足がある。
そうして、私は冷たい夜のアスファルトの上を、ストッキングのままで歩いてゆくことを選びました。
ほとんど素足の裏で地面を確かめ、案外どうってことなく、一歩一歩を紡ぎます。
男の子に背中をつつかれたのは、そのすぐ後のことでした。
「足、だいじょうぶ?」
男の子、という表現は少し誤解を生むかもしれません。
どちらかと言うと、青年に近い外見でした。
近所の高校の名前が入った運動着に身を包んだ、今風の背の高い人が私を見下ろしていたのです。
くりっとした茶色の目で、唇に弧を湛えているその表情は、幼い子のようにチャーミングだったので、やっぱり男の子と呼ぶにふさわしかったのかもしれないですけど。
びっくりしちゃった、と態とらしく言うその人は、片手に私の靴を提げていました。
「前を歩いてた人が、
突然靴を置いてったから。
どこのシンデレラかと思ったよ」
そうして肩をすくめてみせます。
「あいにくだけど、」
私は左足にクロスさせるように右足を後ろに引き、視線をずらして返事をしました。
「それ、私の足にはぴったりじゃないのよ」
できるだけ、親しみ難い子の印象を与えるように、ガラスの靴じゃあるまいし、と呟いてもみせました。
だって、とても他人と話すような気分ではなかったからです。
けれど相手はお構い無く、わぁ、本当、痛そー。と呑気に私の足元に目を向けました。
私のかかとを覆っていたのは30デニールという心許ない単位だけでしたから、形の合わない靴に擦れて水ぶくれができてしまっているのが月明かりでもよく見えました。
赤紫色が大きく広がり、剥がれた皮の下にある未熟な組織から、正体の判らぬ液体が染みだしていて、思わず顔をしかめます。