第43章 ハネムーンでもリバティでもない(及川徹)
その日、私はひどく酔っぱらって夜道を歩いていました。
男の人と、お別れしてきたのです。バイバイ、また明日ね、ではありません。はっきりとは言われなかったものの、もうこの人から連絡など来ないのだろうな、と思われるお別れでした。
遠くまで続く辺鄙な道はきらびやかな大通りの喧騒を遠ざげ、頭上には濃紺の闇を払う白い半月が浮かんでいる。そんな夜です。
高貴な姫君を隠す御簾のようにむら雲が上弦の月をとり巻いており、私は磨かれたプレセリブルーの石を思い出していました。
薄くなった雲の端は輝きに染められ、その夢幻的な光景が気なぐさみをくれるので、散々バーで泣き腫らした目の周りを、またじんと熱くして。
かつて あの人にねだって買ってもらった、ツートンカラーの小さなバッグを指で振り子にしてぞんざいに扱いながら、ひとり道行く私の足取りは よたよたと疑わしいものでした。
それは自棄になって煽ったショットグラスのせいでもありましたが、一番の原因は両足のかかとが痛くてしょうがなかったからでしょう。
私は新しい靴を履くと、必ずと言っていいほど靴擦れを起こす女なのでした。それを分かっていながら、同じことを繰り返すのです。
傷ついて、痛みに泣いて、忘れた頃にまた新しいものを求めて。恋の別れも靴擦れも、いつの間にかお馴染みのものになっていましたが、慣れることはこの先もずっとないでしょう。
末端が美しい女性は幸せになれる、と、いつか大人に教えてもらったことがあります。まだ私が少女の頃です。
髪の毛、靴、指の先。
自分の足を傷つけない高級な靴を買うほどの余裕は持っていませんでしたが、それでもおまじないのように言いつけに従って、綺麗の魔法を自分にかけてきたつもりです。
でも、私、幸せに選ばれなかった。
意地の悪い女の子の苛めにも似たチクチクと刺す針のような靴擦れの痛みに耐えて、もうだいぶ歩いていました。
遠くで愛想なく疎らに光っているアパートたちの明かりを頼りに、スウェード地のパンプスから両足のかかとを外し、つま先だけて歩くようにして私の寝室がある方角へと向かいます。
もしこの時、何も知らない人が近くにいたら、(私の気が付かなかっただけで、実際、ほんのすぐ後ろにひとりいたのですが )私の姿が、極夜に星を目指して歩く間抜けなペンギンに見えたかもしれません。