第41章 はるかぜとともに(澤村大地)
私が急に声を出したから、向こうもびっくりした顔をして、「え?どうも……」と困惑気味に会釈をした。そのまま、自室へ入ろうとする。
「ねこの人だ」私が呟くと、その人の足が止まった。まじまじとこちらを見て、あぁ、と思い出したかのように言った。
「ひょっとして、この前の」
「はい、えっと、今日、隣に越してきました、よ、よろしくお願いします」
少し無言が続いた。ピンときていないような反応をされたので、私は慌てて自分の髪を少しつまんだ。
「か、髪、染めたんです!あの後。長さも少し切って」印象は変わったかもしれないけれど、私です、みょうじなまえです、と必死に説明をしているうちに、なんだか変な気分になってくる。会話をするのはこれが初めてなのに。
「みょうじさん、ね。俺は澤村。よろしく」
柔らかい表情だったけれど、なんだか笑いをこらえているようにも見えた。「ここに引っ越してきたのか」
「はい。今年から大学生で!あの、ここの近くの、大学に」
澤村さんは、向き合うと背が高かった。何かのスポーツをしているんだと私でもわかるくらい、体格が良い。私の言葉に、へぇ、と相槌を打った後、「余計なお世話かもしれないけどさ、」と視線をドアに向けた。「女の子が、そんなペラペラ個人情報しゃべるのは不用心なんじゃないか。まぁいいけど」
確かに。
顔が熱くなる。恥ずかしい。私すごい世間知らずみたいだ。
「……以後、気をつけます」
「あっ、そうだ。あのこと、誰にも言ってないよな?」
あのこと?と私は顔を上げた。猫のことだろうか。猫のことだろうな。頷きながら、頼りなく眉を下げている不動産屋のおじさまを思い出す。
「内緒にしてます。ただ、誰かが餌付けしてるってことはバレてるみたいで、」
「だよなぁ」
駄目だってことはわかってるんだけど、と澤村さんは首の後ろに右手を回して「腹減ってるのって、しんどいからさ。猫も同じかと思うとほっとけないんだよ」と弱った風に笑った。
ほわん、と、あの時と同じ、私の心は柔く緩んだ。
この人、優しいんだ、と思った。手にとるように伝わった。