第40章 世界はすでに作られていて、すでに無くなっている(影山飛雄)
声をかけられた。見られてる。真正面から、見つめてもらえている。
不思議な気分だった。
自分はジャムみたいに蕩けているわけではなくて、きちんと人の形をしていて、一人の人間として認識してもらえていることが、すごく珍しいことのように思えた。
影山は、大事な結果を待つかのように、じっと息を潜めていた。太陽の光を背に負って、一層瞳の黒が濃くなる。そのうち、ぎこちなくその目線が下がった。「ココアは、嫌いか?」
ここあ、と私は口の中で唱えた。「好き」と答える。「ありがとう」
ストローから、ひと口。喉を動かした。こくん、と冷たい液体が胃の中へ滑り降りていく。
あまかった、と舌が教えてくれる。「美味しい」空気の糸が唇から漏れた。ココアの香りがふわりと広がる。
その時、自分が息をしていることに気が付いた。両手の下で、お腹が柔らかく上下している。
人がたくさん行き交っていた。水の流れのようにぶつかることなく絡み合い、その中に私と影山くんは向かい合って立っていた。
音、車の音、人のざわめき、そよ風に草が揺れ、土の中で光に憧れる虫たち、遠い地鳴り。春、拍動。
世界が急に広がったような気がした。いのちと空気に包まれている。
「飲んだな?」
影山が、念を押すように一歩近づいてきた。「頼みがある」
そう言って大きなスポーツバッグから取り出したのは、可愛らしい、幼稚園児がよく被るような黄色い帽子だった。
「これ、昨日の朝に落ちてたんだ」
ここに、と影山が足元を指で示した。