第37章 静謐な人々(牛島若利)
フロアの隅にあるコーヒーサーバーの前に立つ。「勉強なんて、」と独り言を口にしかけてやめた。さっきから愚痴ばっかりだなわたしは。白いカップに注がれる黒い液体を見ながら、「少しは頑張んなさいよ」と自分に向かって叱咤激励をする。「うん、頑張る、浪人は嫌だ。頭良くなりたい、ぅ、わたしは頭が悪いのだ、頑張らないといけないのだ。誰よりも。でも勉強は嫌だ。そもそも頑張るって何?」
放課後になまえと受験勉強をするのは、いつの頃からか日課になっていた。
毎度、同じファミレス。2階。通りに面した窓際の席。
4人掛けのテーブルで数式を解いているなまえの姿は、凛としていて美しい。まるで一筆したためているかのような空気を割って席に戻り「ごめん」とわたしは謝った。「さっきから、わたしちょっとうるさかったね。お口チャックするよ」
「あんたが黙ったら死ぬんじゃない?」なまえは視線を下げたままで言う。「コーヒー、ありがとう」
不思議なもんだな、とわたしは思う。おしゃべりな人間と、賑やかなファミレスでわざわざ勉強するのだから、この子はうるさい方が好きなのかもしれない。類は友を呼ぶ、という言葉はあまり信用できないぞ、と。
「なまえさ、スカイダイビング、知ってる?」
カトラリーケースからフォークを取り出し、いつの間にか提供されていたチーズの盛り合わせに突き立てる。
「知ってはいるけど」なぜ急にその話を?という疑問は返ってこない。
「調べたら埼玉とかでできるんだって。仙台駅出発して3時間後にはもうダイビングしてるんだよ?空を。スカイダイビング。すごくない?」
「そうね」
「わたし高いところ苦手だけど、もう18歳だし、頑張ればできる気がするんだよね。死ぬまでにやりたいっていうか、若いうちに飛んでおきたいっていうか、なんかすごいことに挑戦したいっていうかさ。なんか、今なら何でもできる気がするんだよね!勉強以外は」
つまり、勉強がしたくないのである。