第36章 青葉雨の日(松川一静)
「松川ぁ」と、もう一度呼び掛けた。なまえの前髪は乱れ、おでこが剥き出しになっていた。
しかし、それよりも空腹だった。
「起きてくださいな、」と彼を二度ノックした。「もうじきに朝ですよ」
もうじき、とは、具体的にどのくらいかは定かではなかったが、いつかは朝が来るのだから嘘ではないはずだ。
松川、ごはん食べたい、起きよう、と片手で揺すると、松川が小さく呻いた。そして寝返りを打ってきた。
あ、と逃げる間もなく、片腕が掬いとるように上に被さってくる。抱き寄せられた、というよりは、潰された、という表現に近かった。
胸元に押し付けられて、なまえは「あつい」と最初に漏らした。次の言葉は「おもい」だった。這い出そうと身じろぎをして、脱力した人間の腕はこんなにも重いのか、と驚いた。
寝起きでうまく力の入らない手で突っ張って、もそもそと動けば動くほど、不思議なほどに松川の手足は余計に絡まってくる。あれ、あれあれ、とほどこうとしているうちに、包み込んでくる身体が小刻みに揺れだしたので、あっ、と気がついた。
「松川、起きてるんでしょ!」
いつの間にか口元を横に広げていた松川は、顔を隠すようにシーツにおでこを押し当てて「すまんわー」と声を圧し殺して笑った。「お前ホントうける」
「うわー、またそうやってバカにしてくる」
「あれ、外、雨降ってんの?」
うつ伏せになっていた松川が、肘をついて顔を上げた。雨だれの音を嗅ぎ分けるように目を閉じ、味わうような雰囲気で、んー、と言って、再びパタンと倒れた。
「ダルい」
「雨の日って身体が重いよね、低気圧で」
「雨っつーか、寝過ぎなんじゃね」
「一理ありますな」