第35章 瓶詰めラット(矢巾秀)※
チャイムと共に授業が終わると、日直が締めの号令を出す。ありがとうございました、と頭を下げて、再び上げると、ひとりの女子生徒が教卓へひらりと近寄っていくのが見えた。
「せんせ、ちょっと分からないところがあって」
ノートを開き、「ここなんですけど」と、甘えた声で質問を投げかける。目新しくもない光景だった。水瀬に構ってもらいたいがために、無理矢理捻り出しているのだろう。滑稽にも思えるけれど、斜に構えて授業を受ける矢巾より可愛げがあるのは確かだった。
人懐っこい笑顔のその女子は、初めて腑に落ちたような演技をしてお礼を述べる。水瀬が教室から立ち去るのを見届けると、踵を返して矢巾の方へやってきた。正確に言うと、矢巾の隣の席の女子の元へ、やってきた。
「どうだった?」
「ビンゴだよビンゴ」
「えーっ、やばくない?」
「でしょ?」
片手で口元を覆いながら、やばいよね?やばいやばい、と早口に会話が始まる。浮いたようにはしゃぐ声に好奇心をくすぐられ、矢巾は尋ねた。
「何がやベーの?」
仲睦まじいカップルのような距離感で話していた2人の女子は、揃って矢巾を見た。いたずらっぽく目配せをし合うと、どちらともなしに、「水瀬のネクタイピン」と嘲笑混じりに口にした。
彼女たちが言うには、今日の水瀬がつけていた胸元のピンは、今までとは違う、新しいものだったそうだ。質問をする振りをして盗み見たブランド名の刻印から察するに、あれは女性からの貰い物ではないのか、という内容だった。
「まさか、」とは言いながら、矢巾は内心、どきりとした。
「普通さ、20代の男があのブランドは買わないよ」
片方の女子が決め付けたように述べる。買わない買わない、ともう一人も同意する。
「彼女からのプレゼントだね、あれは」
「しかも結構チョイス良くてむかつくわ」
「それな」
女って怖い。
矢巾は常々思っていた。一応、表面上こそ驚きと感心を装ってみたが、うまく誤魔化せた自信はなかった。苦し紛れに「確かにヤバイな」と発した台詞が驚くほどに白々しくて、自分自身に苦笑してしまったぐらいだった。一体何がヤバイのか。