第3章 おちたみどりはどんなおと(黒尾鉄朗)
真っ白なカードを、右手で持った。
「誠実であれ」
なまえが言った。
「え?」
「裏に書いてる」
言われてカードをひっくり返した。万年筆で書いたような、達筆な文字で『誠実であれ』と書かれていた。
「んだよこれ。格言?」
「手書きだね」
「なんでこんなもんがハンカチに」
呟いたら、「落とし文じゃない?」と彼女が笑った。「このハンカチを落とした人は、きっと誰かに伝えたかったんだよ」
「誰かって?」
「誰でもいいから、拾った人に」
「俺?」
「そう、鉄朗に」
「はぁ……?」
右手に持ったカードを眺める。誠実であれ。いまいちピンとこなかった。
「俺なんかでよかったのか?」
「いいんだよ。鉄朗で」
「…………」
ざあざあ降りの雨と一緒に、奥ゆかしいねぇ、とか、このSNSの時代にねぇ、なんてなまえが笑う。なんでこいつ、こんなに嬉しそうなんだ?
右手に持ったカードを見て、左手に収まったハンカチも見た。持ち主不明で気持ちが悪かったはずなのに、何故か今は自分の手に馴染んでいる気がする。
「おい、なまえ」
今ならきっと大丈夫。そう思って、ハンカチをしまって彼女の肩を両手で掴んだ。
「なぁに?」
「今から、キスするからな」
「えー?」
言い切った黒尾に、なまえは照れてくすくす笑った。それから、いいよ、と小さく呟く。言い終わる前に、黒尾は唇を押し付けていた。
大粒の雨が激しい音を立てていた。湖の端の、大きな木の下に浮かんだボート。天井部分に叩きつけられた雨粒が、バラバラバラと煩い音を立てている。
その屋根の下で、一度唇を重ねたら降りだした雨みたいに止まらなくなる。上唇を啄んで、下の唇、口の端、勢い余って顎の下。首筋を辿って、耳の後ろまでキスをしたとき、我慢できずに力いっぱい抱きしめた。
またボートが大きく揺れる。
「………好きかも。俺、お前のこと好きになったかも」
「うん」
「今日限りなんて、無理かもしんねぇ」
「………私、も」
言い掛けた彼女の唇をまた塞ぐ。
冷えた身体にかかる雨さえ、何故か少しも気にならなかった。