第3章 おちたみどりはどんなおと(黒尾鉄朗)
「ぎゃっ!冷た!」
土砂降りになった雨が、ガラスのない窓から入り込んできて、身体にかかる。湿度が上がる。温く張り付くような空気が身体の中に入り込む。濡れた緑の匂いがする。
「もう戻ろっ」
「待て待て待て」
ボートのハンドルを握ったなまえの腕を、黒尾は慌てて掴んで止めた。ちょっと待てよ。このまま戻ってボートから降りたら、お前どうすんの?そのまま逃げて、二度と会えなくなるんじゃねーの?
「戻らないと。風邪引いちゃう」
「引かねぇよ。大丈夫だろ。俺ら馬鹿だから」
「認めちゃったよ!」
必死な黒尾に、なまえが噴き出す。それから脇に置いていたジャケットを羽織って、ポケットからハンカチを2枚取り出した。
「濡れちゃうから、これで拭いて」
そう言って1枚差し出してくる。
「何で2枚も持ってんだ」
「乙女のたしなみ」
なまえはケラケラ笑って、ハンカチはいつも2枚持ち歩くんだよ、と言った。
「1つはお手洗いで手を拭く用に。もう1つは、素敵な男性に差し出す用に」
はい、となまえはハンカチを渡す。それが新品みたいに綺麗だったので、黒尾は受け取るのに躊躇した。
「プレゼントでもらったの。もったいなくて、自分じゃ汚せないんだ」
「いや、俺だって使えねぇよ。そんな高そうなやつ」
「いいの。あげるよ。返さなくていいから」
「返さなくていい、って……」
どういう意味だよ、それ。
聞こうとして、はっと気づいてむかついてくる。こいつ、予防線を張ってやがる。
「別にいらねーし。俺だって持ってるし」
ほら!とポケットからハンカチを乱暴に取り出した。誰のか知らないやつだけど。もうこれほぼ俺のみたいなもんだしな。どうだ、これで3つになったぞ。そう言おうとしたら、なまえが、ん?と近づいてきた。
「ちょ、おい、なんだよ急に」
「なんか挟まってない?」
「あ?」
「そのハンカチ、なんか挟まってるよ」
彼女が指さす。見ると、崩れた4つ折りの間から白い紙みたいなものが飛び出していた。なんだこれ?と摘んで引き出す。
「名刺か?」
「うそ、逆ナン?古臭っ」
「でも何も書いてないな。なんだ?」