第26章 月が(赤葦京治)
そこから更に2駅通過した頃、「なまえさん」と久しぶりに名前を呼ばれた。指体操を中断させて、「なに?」と顔を上げると、「その…財布とか、」と赤葦はこちらを向く。「すみませんでした」と頭を軽く下げられる。忘れていた用事を確認された時と同じように、あぁ、うん。とわたしはコクコクと頷いた。その話ね。知ってる知ってる。
「こうでもしないと、来てくれないと思ったんです」
「いつ、とったの?」
「部活中に。トイレに行く振りをして。マネの荷物置き場に行きました」
淡々と懺悔され、逆にこちらが「あ、そう、なんか、あれだね」と、面食らって歯切れが悪くなる。「なんというか、その、すごく」と言いよどむ。「スタンダードだね。手口が」
「はぁ、それ、褒めてるんですか」
「わ、わかんない」
「なまえさん、怒ってます?」
「怒ってはない、と思う。多分」
「分からないんですか?自分のことなのに」
「うーん……謝ってくれたし。定期入れも財布もスマホも、全部無事に返してくれるなら、許すよ。誰にも言わない」
「もし、いま返したら」
縋り付くようにドアに両手をつく赤葦は、普段と違って、酷くぎこちなく動いていた。「返したら、なまえさん、家に帰っちゃいますか?」
「………赤葦は、」と少し驚いて、わたしは尋ねる。「本当に、部屋に入れたいの?わたしを」
「………わからないです」
「分からないの?自分のことなのに」
「さっきまでは、なまえさんに来てほしいと思ってました。あの、俺の部屋って、何やっても綺麗にならないらしくて、その、いろんな人が協力してくれるんですけど、どうしてもダメで。それで、なまえさんだったら、もっと良い方法が分かるんじゃないか、って、木葉さんが、いや、木葉さんのせいにするわけじゃないんですけど、」泣きそうな声が、「でも、」と続く。「怖くなりました」