第23章 駿足アキレスあるいは兎;そもそも彼奴は亀なのか(五色工)
「ところでさっきから、何かいい匂いがしませんか?」
かくして失敗を流すべく全く違う話題を提示した。「柑橘系の香りがします」
「まったりできる場所がいいんじゃないの?」
なまえはなまえで、五色のことなどまるで無視した会話を投げる。「ウサギカフェとかどうかなぁ?」
「ウサギカフェなんてあるんですか」と、気まぐれの言葉も五色は拾う。
「そう。最近できたの。ここらへんに」
なまえが地図の真ん中あたりを指した。「場所がちょっと分かりにくいんだけどね。分かりにくいだけあって天国だよ。ここは」
「天国ですか」
「天国ですな」
「俺、行きたいです。すごく」
折しも昨夜、五色はウサギの映像を見た。オススメ動画の一覧に出てきたので何となく開いただけだったのだが、ものの数分であのふわふわで丸くていじましい生物の虜になった。一度でいいから、この腕に抱きかかえてみたい。
「ウサギは良いよ」となまえは笑顔を見せる。「あの子たちを撫でると、すべてがどうでもよくなるんだよ。動物兵器。アニマルドラッグ」
そして思いきり、五色の足は踏んづけられた。(素で食いついてんじゃねぇよ)という意味である。心無しか、向けられる笑顔もどす黒い。
「あーもう、わかりましたよ!」
五色はやけくそになり、なまえの腰辺りに手を回し自分の方へ引き寄せた。「これでいいですか!?」
「ばばば馬鹿野郎!」と途端になまえが赤面する。「女の子をそんな雑に扱うんじゃない!」
「じゃあどうしろってんですか!?っていうか先輩が勝手に俺の手を握ってれば済む話でしょう!」
何にでも文句言うんなら、俺はもう知りません!と五色は右手を突きだした。なまえは口をへの字に曲げる。
「どうしたんですか、握ってください。ほら!」と追いたてると、彼女は五色の顔と、その右手を長いこと交互に見やる。それから、極めて頼りない動作で親指の先っぽをつまんできたのだった。
流石に失望してしまい、「先輩……」と五色は同情の声をかけた。「先輩も、案外男性経験乏しいんですね」
「死ね」
「いだだだ!」