第23章 駿足アキレスあるいは兎;そもそも彼奴は亀なのか(五色工)
「ねーぇ、今日はどこ行く?」
なまえが身体を寄せて、甘い声を出してくる。数秒の思考停止の後、五色は遅れて状況を理解した。
先程から自分達が張り付いているのは、ここら近辺の観光スポットを地図にした路上案内板である。この場所に長時間陣取るなら他の人の邪魔であろうし、また長時間陣取るならデートの行き先をだらだら話している恋人のふりでもしていたほうが確かに無難だ。けれど、
「どいた方が早いんじゃないですか」
至極まともな提案かと思ったが、「無理」と斬って捨てられた。「ここが一番の絶景スポット」
真っ直ぐ前を見たままのなまえに、そうですか、と五色は大人しく従った。
五色工が中等部で学んだことは、みょうじなまえは気配りができ手もよく動かすが、それよりもまず己の欲望に忠実な生き物ということだ。苦言を呈せば鉄拳制裁。
ほら、合わせなさいよ、となまえが肘でつついてくる。「今日はぁ〜、なにしよっか?」
「そ、そうですねぇ」と五色は目線をウロウロさせた。「どこに行きましょうかね?」
そしてどこを触ればいいんでしょうね?
恋人の演技なんて五色はもちろん未経験である。しかし元来の自己評価の高さが一因してか、自分にできないことはないだろう、とも考えていた。
差し当たり肩でも抱くのが妥当かと思索し、(失礼します)と小声でワンクッション置いてからなまえの身体に恐る恐る手を回した。普段ならこれだけで極刑である。しかし返ってきたのはフッと鼻で笑う嘲笑だった。
「五色……あんた女性経験が乏しいんだろ」
「ほ、ほっといてください!」
恥ずかしさと憤りが混ざってぽこぽこと音をたて始める。こちらは真剣に取り組んだのに、なぜ馬鹿にされなければならないのか。
女性に対する礼儀作法は、部活でも授業でも教わっていないのだ。自分はただ、実践で身に付ける機会を逃しているだけ。そうだそうだ。焦ることなんて無いんだ五色工よ。俺にはバレーがあるじゃないか。と、五色は白鳥沢に入って以降身に付けた自分で自分をフォローする習性を十二分に発揮した。心が折れないようにするための逃避行動である。