第20章 メビウスの輪舞曲(赤葦京治)
「俺の母方の実家がここら辺で。久しぶりにきたから忘れてた。思い出すのに時間がかかった」
「それを教えるために,わざわざ追っかけてきてくれたの?」
「もう遅い時間だし,寒いし,歩き回らせたら悪いと思って」
綺麗な姿勢のまま,無表情で話すヘルメースくんを,私はまじまじと眺めてしまった。走ってきてくれた?こんな大きなエナメルバッグで?傘もささずに?
「力になれなくてごめん。和菓子屋ならこの辺……」
そこで彼は台詞を止めた。顔をしかめて鼻を触ったと思ったら,くしゅんとくしゃみを1つした。その仕草さえも上品である。彼は軽くすんと鼻を鳴らして,あー,と脱力した声を漏らした後に,和菓子屋ならこの辺いっぱいあるから,と何事もなかったように話を続けた。「どっかで適当に買って帰るといいよ。じゃ」
「あ,ちょっ……」
一方的に話し終えたと思ったら,さっと背を向けて駅の方へと行ってしまった。用事があるのか,急いでいるのか判断がつけられず,私は人混みの中へと消える彼を呼び止めることを躊躇してしまった。
「なんか,すみませんでした……」
もう届かないであろう言葉を小さく呟いた後で私は,急にどっと疲れてしまって,はー,と白い息を吐き出した。
格好良かった。格好良かったのである。ヘルメースくん。名前ちゃんと聞いときゃよかった。
梟谷にあんな人がいたなんて全然,全然知らなかった。人数が多い学校だから,同じ学年でも出会わない人いっぱいいるけど。でも背が高かったし,もしかしたら先輩かも。やば,私ちゃんと敬語喋ってた?待った。コートを着てるから,きっとあの人は私が同じ高校だってことすらわからなかったかもしれない。ラッキー,なのか?
なんにせよ,この21世紀に生きる紳士な男子との出会いに嬉しくなった。そしてひいおばあちゃんにめっちゃ感謝した。ここまでが,1月の初めの頃の私の記憶。