第20章 メビウスの輪舞曲(赤葦京治)
フラレちゃったわ。私は頭を下げた。「他の人に聞いてみます。邪魔してすみませんでした」それから別の場所へ行こうと方向転換をした。
「待って」
「ひぇ!」
突然腕を掴まれた。変な声が出た。何この人やる気なさそうな顔してるのにすごい握力!怖!
「それさ,”くく”じゃなくて,”きく”じゃない?」
「は?」
「キクノアン」
ずい,と目の前にスマホを突きつけられた。地図アプリが起動されていた。赤いマーカーのついた画面に出ている文字は,
「菊ノ庵」
声に出して読み上げる。顔を上げると,カチンと視線が交わった。
「探してるのって,緑の暖簾の店なんじゃない?」
相変わらずの無表情。「いかにも老舗です,って感じの」
けれど,超至近距離で見る彼の目は,謎が解けました,と少し嬉しそうだった。
「暖簾も見た目もわかんないけど…そうかも。くくの庵じゃなくて,菊ノ庵ってお店かも」
色々と勘違いしていた自分が恥ずかしくなり,顔が熱くなってきた。「おばあちゃん,モゴモゴ喋るから聞き取りづらくて」
「高齢者の滑舌はしょうがない。年齢で舌の筋肉は衰えるから」
なんとも微妙なフォローをした後で,その人は,道,分かる?と落ち着いた声で聞いてきた。黙って首を横に振ると,あっち,と彼の右手が水平に持ち上がった。真っ直ぐ前を指差した後,ついと内側へ手首を曲げた。
「たしか,駅の裏側」
「……!」
なんか,この人あれかもしれない。
「俺も,時々しかこの駅には来ないから,うろ覚えだけ…」
「ありがと!」
「!」
人は見かけによらないってやつだ。
思わず身を乗り出すと,彼は圧倒したように背中を僅かに反らした。
「……結構,歩くよ。こっから」
「平気!」
「正確な場所もわか」
「近くにいる人に聞く!」
「……そ,頑張って」
ふっ,と彼が微笑んだのであわや卒倒しそうになった。神だ。見慣れた制服を着たこの人は私を導く神様だったのだ。