第33章 迷子の子ども
言えるわけがない。
『ママ』と呼ばれているあなたを見て、胸の奥がざわついたなんて。
あなたが子供を抱き上げる姿を見て、似合っていると思ってしまったなんて。
――それどころか。
一瞬だけ。
あなたと自分の間に、その子供がいる未来を想像してしまったなんて。
「……脹相?」
「……帰るか」
「え?」
「今日はもう帰ろう」
「まだ買い物してないよ?」
「……そうだったな」
少しだけ、しょんぼりする。
あなたは思わず笑ってしまった。
「ふふ」
「何がおかしい」
「だって、脹相って分かりやすいんだもん」
「……?」
「もしかして、あの子に『ママ』って呼ばれたの、気にしてる?」
「……」
図星だった。
脹相は顔を逸らす。
「……少し」
「やっぱり」
「……お前が母親に見られたことが嫌だったわけではない」
「うん」
「むしろ……」
そこで言葉が止まる。
「むしろ?」
「……似合っていた」
「え?」
「子供を抱いているお前が、その……」
耳まで赤くなる。
「……母親に見えた」
「……」
あなたまで恥ずかしくなってしまう。
「そ、そう?」
「ああ」
「でも私、まだそんな歳じゃないよ」
「知っている」
「じゃあ何でそんなこと言うの」
「……」
脹相はしばらく黙ったあと、ぽつりと言った。
「……お前が幸せそうだったから」
胸が、きゅっとなる。
脹相はそれ以上何も言わない。
いつものように、あなたの少し後ろを歩いている。
けれど。
信号を渡ろうとしたとき。
「危ない」
自然に手を掴まれた。
大きな手。
温かい。
そのまま離されない。
「脹相?」
「……何だ」
「手」
「……嫌か?」
「ううん」
あなたが小さく笑う。
「嫌じゃないよ」
脹相は安心したように、少しだけ握る力を強めた。
そして心の中で、誰にも聞こえないように呟く。
――いつか。
いつかもし、許されるなら。
『ママ』と呼ばれるお前の隣にいるのが、俺だったらいい。
けれど、その願いを口にする勇気はまだない。
今はただ。
あなたの手を握って歩けることだけで、十分だった。