第30章 脹相〜お風呂の停電〜
「……俺も」
「え?」
「お前が俺を頼ってくれて、嬉しい」
「……」
「だから、怖かったらもっと掴まっていろ」
「……いいの?」
「ああ」
私は少し迷ってから、彼の服をぎゅっと握った。
「じゃあ……もう少しだけ」
「好きにしろ」
「……脹相」
「なんだ」
「顔、見ないでね」
「分かっている」
「絶対だよ?」
「……ああ」
そう答えたくせに、脹相の耳が赤くなっているのが見えた。
「……脹相、耳赤い」
「見るな」
「ふふっ」
「笑うな」
「だって、脹相も恥ずかしいんだ」
「……当たり前だ」
「え?」
「お前がそんな状態で俺に抱きついてきたら、平気でいられるほうがおかしい」
「……っ」
今度は私が完全に固まった。
「そ、そういうこと言うの、ずるい……」
「すまない」
「謝らなくていいけど……」
「……」
「余計に恥ずかしくなるから」
「……分かった」
それからしばらく、二人とも何も言わなかった。
ただ、雨音を聞きながら抱き合っている。
付き合っているわけじゃない。
でも、この距離はあまりにも近かった。
やがて、脹相がぽつりと呟く。
「……電気が戻ったら、すぐに服を持ってくる」
「うん」
「風邪を引いたら大変だからな」
「ありがとう」
「それと……」
「うん?」
「今夜は、俺がドライヤーをしてやる」
「え?」
「髪が濡れているだろう」
「……じゃあお願いしようかな」
「ああ」
脹相はそう言って、私の頭をそっと撫でた。
その優しさに、また胸が高鳴る。
「……ねえ、脹相」
「なんだ」
「今日だけじゃなくて……」
私は少し迷ってから、彼の胸元に顔を寄せた。
「これからも、私が怖いときはこうしててくれる?」
脹相はしばらく黙っていた。
それから、耳元で静かに答える。
「……いつでも」
その一言だけで、胸がいっぱいになった。
停電のせいで怖かったはずなのに。
今はもう、電気が戻らなくてもいいような気さえした。
――この腕の中にいると、安心するから。
そしてきっと脹相も。
同じように思っている。
ただ、お互いにそれを口にする勇気だけが、まだ少し足りなかった。