Spoofing HAL -Akito ver.0.8
第2章 Execute Script: "Akito"
「……アキトの顔。楽しそう」
背後から梓の声がした。
カーテン越しに、すべて聞いていたのだ。
それでもなお、その瞳は未だ「仕様書」のように
アキトのスクリプトを強制実行させ続けるようだった。
そこへ男がベランダの扉を恐る恐る開き、リビングへ戻ってくる。
リビングを横切らなければ玄関には出られない。
だが、ソファで何事もなかったかのように寛ぐ梓と、
その隣で平然と彼女の愛犬を抱く“弟”の眼差しに気押され、
男は慄然と立ち尽くしていた。
「あ、お兄さんお帰りですか?
忘れ物ないですか? 玄関まで送りましょうか?」
遥斗はハルを腕に抱いたまま、過剰に明るい声で男に歩み寄った。
わざと男のパーソナルスペースを侵すように、
その進路を塞ぐほどの至近距離まで詰め寄る。
「うちのねーちゃん、ああ見えて結構、名残惜しがり屋だからさ。
ねーちゃん、いいの? 送らなくて」
怯える男を鼻で笑うようにして、遥斗はわざと梓の足元に座り込んだ。
彼女の膝に甘えるように後頭部を預け、
ここは俺の場所だと見せつけるようなの冷ややかな視線で男を見上げる。
「ねーちゃん、次はもっとマシな人選んでよね。
中途半端に触られてさ。
あとで俺が、全部ぐちゃぐちゃにして
『やり直し(リビルド)』てあげなきゃいけないんだから。
……ね、ねーちゃん。俺がいないと、まともにイけなくなっちゃったの、
いつから、だっけ?」
梓はゆっくりと上体を起こすと、
男を一度も直視せずにスマートフォンを取り出した。
「そうね、アキトが全部『やり直して』くれる?
この人、もう使い物にならないし」
梓の指がそのディスプレイを淡々と滑る。
その場で男の連絡先をブロックしたのが、遥斗の位置からはっきりと見えた。
あまりに事務的で冷徹な断絶。
男は弾かれたように玄関へ走り、ドアが閉まる音が廊下に響き渡った。
その瞬間に、外部プロトコルが遮断され、静寂が戻った瞬間、
遥斗の瞳から『アキト』としての光が消える。
それと同時に梓も先程の誰かの顔ではなく、
無機質ないつもの顔に戻っていく。