Spoofing HAL -Akito ver.0.8
第2章 Execute Script: "Akito"
30分後。
ハルを連れて戻ると、部屋の空気は冷え切っていた。
ソファで死体のように横たわる梓。その瞳には何の余韻も残っていない。
ただ、そこにいた男を「使い古した執筆の資料」として処理し終えた後の、
虚無だけが漂っている。
「終わった?」
遥斗の声は、自分でも驚くほどフラットだった。
アキトというスクリプトが、感情のレイヤーを一段階深く遮断している。
「……いや。萎えた、っぽい」
梓は顎でベランダを指した。
窓の向こう、カーテン越しに男の影が揺れている。
紫煙が夜の空気に溶け出していくのが見えた。
遥斗はポケットの中で、
さっきまで鳴らしていた少し歪になった爪先を隠した。
痛いくらいに拳を握り、無理やり口角を引き上げる。
「へー。ねーちゃんが萎えさせるとか、相当なんじゃないの」
自分でも理解したくない、
理解してしまえば壊れてしまうような苛立ちを抱えたまま、
煙草を取り出した。
窓を開け、夜のベランダへ踏み出す。
「お邪魔しちゃってすみませんねー」
煙草を吸っている男に、
遥斗はわざと人懐っこい笑みを向けた。
「うちのねーちゃん、犬の散歩サボりがちだから。
俺が来ないと、可哀想で」
「……弟さん?」
男が怪訝そうに、遥斗と部屋の中の梓を見比べる。
遥斗は答えず、煙草に火をつけた。
いつもなら軽く噛むだけのフィルターを、
今は牙を剥くように犬歯でガリ、と深く噛み潰す。
繊維が潰れる感触が、脳内のノイズをかき消していく。
ありえないほど強く、その灯火が揺れた。
「アキトっていいます。よろしく」
「……似てないね。姉弟には見えない」
男の言葉に、
遥斗はフィルターを噛みちぎらんばかりの勢いで、
さらに笑みを深くした。
「あー、よく言われます。
ねーちゃんは父さん似なんですけど、俺、母さん似なんで。
全然違うでしょ?」
適当な嘘。
名前も嘘、血縁も嘘。
その場しのぎの空っぽな嘘の言葉。