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鬼道有人の初恋

第4章 第四話




 彼女が陸上に求めているものが何かは分からないが、彼女の眼差しは好奇心に満ちる。向上心がないとは思えない。……ならば、力は惜しまない。心からの想いを鬼道は捧げる。

「その気さえあれば、お前はもっと速く走れるはずだ」
「……」
「少なくとも、俺はそう確信している」

 彼女の手はもう震えていなかった。小さく華奢な手は大切そうに鬼道の手帳を抱えている。

 その指先に触れたくて、思わず軽々しくも手を伸ばしてしまいそうになる。触れて、握り締められたら……。より心が満たされるはずだと思った。

「ありがとう、ございます……」

 楚々と浮かべるその笑みにも、触れてもっと奥深くまで見つめたいと欲を抱く。あの、頬に触れた日の熱が未だに忘れられない。体温を感じ、心を通わせ合う喜びを、再び味わいたいと思いながら鬼道の手は動けない。

 ――――今はまだ、怖がらせるだけだ。

 軽率な行いをするわけにはいかない。先日、彼女の頬に触れた奇跡は、互いの感情が高ぶっていたからこそ得られた僥倖だ。身勝手に身体に触れる行いは、彼女の中に芽生え始めた俺への信頼を、容易く摘み取るだろう。

 鬼道はひとつ咳払いをする。それにだ、そもそも彼女に触れるべきでは無い。

 ひとたび触れたなら、きっとそこから俺は俺を制御できなくなる。……目に見えていた、こうして彼女との時間を重ねるようになっているが何よりの証拠だ。

 彼女への想いは、海の底がみえないように際限がない。深く潜れば潜るほど、俺は彼女に溺れていく。己に課された責任を、義務を忘れてはいけない。

 それを胸に刻めと、理解しろと言い聞かせても。彼女に触れたいと身勝手に心が叫ぶ。欲望を強く押し潰しながら鬼道は静かに彼女の横顔を、夜の海のような眼差しを見つめていた。
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