第21章 乳母
それから、おずおずと背中に隠し持っていたものを差し出す。
「あ、あのね、ソーニャ……こ、これ」
トレーネスが見せたのは、一輪の薔薇だった。
庭師に女性が贈られて喜ぶ花を聞き出し、庭園で一番状態の良さそうなものを選んで摘み取ったものだ。
「ソーニャに……」
「私にですか?」
乳母がトレーネスの手から薔薇を受け取る。
ムラなく色づいた真っ赤な薔薇は完全に開ききる少し前で、茎からはトゲが1つ残らず切り取られ、枝葉もバランスよく剪定された跡があった。
おそらく庭師が整えたのだろう。
「ありがとうございます。自室に飾らせていただきますね」
ふ、と微笑みながら乳母が大事そうに薔薇を持つ。
「そ……それでね、僕……」
乳母を見上げながら、不安げな表情でトレーネスが口ごもる。
「どうされました?」
「僕……ソーニャと結婚したいんだ」
それを口にした瞬間、ほんの少し周囲が静かになった気がした。
遠くで従僕が咳払いする声が聞こえ、歩いていたメイドの足音は物陰で止まる。
「あら、まぁ。……それは、大変光栄なお言葉でございます」
ソーニャは一瞬呆気に取られた顔をしたものの、すぐに表情を戻しながらそう言った。
「僕と……結婚してくれる?」
「いいえ。丁重にお断りさせていただきます」
「え……!」
深々と頭を下げて断る乳母を前に、トレーネスは眉を下げた。
「ど、どうして……?」
「私が結婚したくないからです。何より、身分差と年齢差ともに釣り合いが取れません。ですので、どうかお考え直しくださいませ」
そう告げる声は至って優しかったものの、トレーネスにとっては取り返しのつかない宣告のように聞こえた。
「う、うぅ……っ」
このままではソーニャが自分の前から居なくなってしまう。絶望感に涙が込み上げてきて、堪えきれずにその場で泣いてしまった。
それを見た乳母がハンカチを取り出し、しゃがんでトレーネスの目元を拭う。
「私はあなたの乳母で、あなたは雇い主のご子息です。そして何より、トレーネス様は次期当主というお立場であらせられます。私であろうとなかろうと軽率な求婚はお控えください」