第7章 新たな道標
「だから、拙者が覚えているのでござる。斗亜の分まで」
その言葉に、斗亜は返事ができなかった。
笑いたいのか、泣きたいのか、自分でも分からない。
感情が胸の奥で絡まり、喉の手前で詰まってしまう。
「斗亜、飯は残すな」
剣心は少しだけ笑うと、父の口調を真似るように低い声で言った。
その一言だけで、斗亜の体が小さく震えた。
本当の父の声ではない。
それでも、自分の名を父が呼ぶ情景が胸いっぱいに広がる。
剣心は穏やかな声へ戻る。
「すると母さんは、父さんの膳へそっと斗亜が食べきれんおかずを一品乗せるでござる。父さんが何か言おうとすると『はい、これも食べてください』と笑って、いつの間にか説教は終わってしまうでござる」
斗亜の口元がわずかに緩む。
涙を浮かべたまま、小さく笑った。
「母ちゃん…強ぇな」
剣心も静かに笑う。
「強かったでござる。優しさというものは、案外一番強いのでござるよ」
斗亜は静かに湯呑を持ち上げる。
すっかり冷めた茶を一口含む。
渋みは変わらない。
それでも今夜だけは、その苦ささえどこか懐かしく感じられた。
泣きそうに熱くなった喉には、その苦さが不思議なくらい心地よかった。
斗亜は何度か息を整え、ようやく声を絞り出す。
「俺…何も覚えてねぇ」
掠れたその声を聞き、剣心は静かに首を横へ振った。
「何もではござらん。父さんの手も、母さんの温もりも…お主はちゃんと覚えておる」
斗亜は小さく笑う。
笑ったつもりだった。
けれど、その笑みはあまりにも弱かった。
「でも、それだけだ」
視線を落とし、自分の手元を見つめる。
「俺の中には穴があるみてぇなんだ。父ちゃんも母ちゃんも、そこにいたはずなのに…形だけが残ってねぇ」
ぽっかりと空いた空洞を抱えたまま生きているような感覚だった。
剣心は静かに息をつく。
それから、ほんの少しだけ斗亜との距離を縮めた。
肩が触れるほど近くはない。
けれど、一人ではないと伝えるには十分な距離だった。