第7章 新たな道標
耳を澄ます。
呼吸は乱れていない。
咳も先ほどより落ち着いている。
その様子を確かめると、斗亜は静かに息を吐いた。
「よし…」
誰へ向けた言葉でもない。
自分自身へ言い聞かせるような、小さな声だった。
いつもの日常が戻る、その時まで。
斗亜は今日も湯を沸かす。
不器用なお茶しか淹れられなくてもいい。
変わらない味があるからこそ、守り続けられる時間もある。
斗亜は静かに急須へ湯を注ぐ。
立ち上る湯気が、柔らかく朝の光へ溶けていった。
数日が過ぎた。
剣心の風邪はすっかり治り、神谷道場にはいつもの穏やかな日常が戻っていた。
夕餉を終えた道場には、食後ならではの静かな時間が流れている。
重ねられた皿が触れ合う軽い音。
台所から聞こえる水を流す音。
薫が袖をまくり、手際よく後片付けを進めている気配が伝わってくる。
弥彦も手伝っているのだろう。
「だからそこじゃねぇって」
「分かってるわよ!」
そんな小さな言い合いが聞こえてきて、すぐに二人の笑い声へ変わった。
つい先ほどまで賑やかだった食卓の空気が、少しずつ家の中へ溶け込んでいく。
その静けさを感じながら、斗亜は縁側へ腰を下ろした。
湯呑を片手に持ち、ゆっくりと暮れていく空を眺める。
西の空にはまだ昼の名残が淡く残り、その上から夜の群青色がゆっくりと広がっていく。
庭では草木が風に揺れ始め、虫たちの鳴き声が静かに重なっていた。
やがて隣へ誰かが腰を下ろす気配がする。
見なくても分かる。
斗亜は空を見上げたまま口を開いた。
「兄貴。飯、足りたか?」
剣心も湯呑を手にしたまま夜空へ視線を向ける。
「十分でござる」
「それより斗亜、お主の方がよく食べておったな」
斗亜は肩をすくめた。
「腹減ってたんだよ」
「珍しいことでござる」
「うるせぇ」
ぶっきらぼうに返しながら湯呑を口元へ運ぶ。
渋みの奥に、ほんのりと甘みが残る。
薫の淹れる茶は不思議だった。
決して濃すぎず、薄すぎず。
口当たりが柔らかい。
湯の温度。
茶葉の量。
蒸らす時間。
どれもきっちり計っているわけではないのに、いつも同じ味になる。