第7章 新たな道標
少しだけ申し訳なさそうに笑ってから、小さく頷いた。
「承知したでござる」
その返事を聞き、恵は満足そうに微笑む。
「それでよろしい」
そう言い残し、静かに部屋を後にした。
廊下へ出ると、薫がすぐに口を開く。
「私は洗濯をしてくるわ。弥彦は?」
弥彦は胸を軽く叩いた。
「庭掃いてくる!任せとけ!」
その元気な返事に、薫も自然と笑顔になる。
「お願いね」
それぞれが動き始めた。
薫は水差しへ新しい水を汲み、濡らした手拭いを用意する。
弥彦は箒を持って庭へ向かった。
斗亜は薬を枕元へ置き、剣心が目を覚ました時すぐ手が届くよう、水差しの位置も整える。
やるべきことは次々とある。
けれど、その忙しさは戦場とはまるで違っていた。
刀を握る緊張ではない。
命を奪う覚悟でもない。
ただ、大切な誰かが安心して眠れるように動く。
そんな穏やかな慌ただしさだった。
昼を過ぎる頃には、道場にも静かな時間が戻っていた。
斗亜はふと気付く。
自分はずっと耳を澄ませていた。
剣心が起きる音。
咳をする音。
湯呑を持ち上げる音。
「兄貴ならもう大丈夫だ」
そう思えるいつもの生活音を、無意識のうちに待ち続けていた。
斗亜は湯呑を一つ手に取り、縁側へ腰を下ろす。
午後の日差しは柔らかく、庭を渡る風が心地よかった。
もう一度、お茶を淹れてみる。
今度こそ失敗しないように。
湯を少し冷ます。
茶葉は控えめ。
蒸らす時間もいつもより長く取る。
慎重に湯呑へ注ぎ、一口含む。
「まずい…」
思わず顔をしかめる。
「なんでだよ…」
さっきより丁寧に淹れたはずだった。
なのに、どこか噛み合わない。
苦い。
渋い。
何より、自分の雑さまで味に出てしまったようで悔しかった。
湯呑を膝へ置いた、その時だった。
口の中へ残る苦みが、一つの記憶を静かに呼び起こす。
――あなた、本当にお茶を淹れるの苦手ね。
耳元で笑う声。
優しく、楽しそうな笑い声だった。
気付けば斗亜の隣には桜がいた。
今いる神谷道場ではない。
もっと小さく、もっと温かな家の縁側。