第5章 因縁の余燼
「今度は明王じゃなく…もう一度、“優しい和尚様”に戻って、救世をやり直しな」
そう言って、左之助は背を向けた。
その背中に、掠れた声が追いかけてきた。
「優しさで…救える程…人間は甘くない…」
安慈の声。
石の底から引きずり出したみたいな、重たい声だった。
左之助は足を止めたが、振り返らない。
「そんなこと、十年前に承知してるさ」
そう言って、今度はほんの少しだけ、優しく笑ったような声音になる。
「だがよ…その位牌の子供たちは、死ぬ直前まで、あんたの優しさに救われてたはずだぜ」
言葉が、安慈の胸の奥に届いているのが分かった。
安慈の呼吸が、一瞬だけ乱れた。
「その子達のためにも…お前はこんな所で“終わる”んじゃねぇぞ」
左之助が離れていく背中に、安慈の声が続いた。
「今なら…まだ遅くないかもしれん…急いで引き返せ…」
安慈はゆっくり立ち上がる。
腹を押さえ、血が垂れる。
それでも彼は、告げた。
「この先にいる十本刀は宗次郎と宇水と方治のみ…残りは既に葵屋の者の抹殺に向かった」
その場の空気が凍った。
剣心の瞳が、明らかに揺れた。
斗亜の喉が鳴る。
左之助は、顔色が一瞬で消える。
「…っ!」
由美が血相を変え、声を張った。
「ちょっと誤解はよして頂戴!この作戦は方治の発案!志々雄様の意ではないわよ!」
「どっちだって同じだ!」
左之助が由美の肩を掴み、引き寄せる勢いで叫ぶ。
「来い!急いで引き返すぞ!!」
由美は肩を掴まれたまま、ニッと笑った。
その笑みは、どこか薄気味悪いほど落ち着いている。
「無駄ね。アジトのこの辺は私も“行き道”しか知らされてないの」
さらりと告げ、左之助の顔を見上げる。
「どうしてもというなら引き返してもいいけど、まず間違いなく道に迷ってみんな一緒にお陀仏よ」
「チッ…!」
左之助は舌打ちし、剣心を見た。
今、剣心の判断が全てを決める。
剣心は、ほんの数秒、目を閉じた。
迷宮の暗闇の中で、葵屋の灯りが脳裏に浮かぶ。
薫の笑顔。
操の涙。
翁の声。
弥彦の竹刀の音。
そして守ると言った約束。