第5章 因縁の余燼
「悩んでるのは、生き残った和尚様一人の幸せひとつ…」
左之助は、安慈の腹部にある血塗られた位牌を指差す。
「見ろよ。お前の流した血に濡れて…“痛い”って泣いてるじゃねぇか…」
赤く濡れた木片は、まるで血涙を流しているように見えた。
子どもたちの名前が刻まれた文字は、血に滲み読めなくなりかけている。
位牌を握りしめ、安慈の手もまた震えていた。
「大事な人を失って、人生が歪んじまうくらい…本当に大事に想ってきたんだろ?」
左之助はボロボロの体を支えながら、安慈の目をじっと見た。
「気持ち…分かってやれよ」
その一言が、安慈の胸に突き刺さる。
安慈の拳が、ゆっくりと下りていく。
力が抜けた。
位牌を握る手が、喉元まで持ち上がり、震える唇の前で止まる。
ぽたり、と。
大粒の涙が、血に混じって位牌に落ちた。
安慈は、その場に崩れ落ちる。
「…う…あぁ…」
声にならない嗚咽が、石室に滲む。
十年前の夜、炎の前で流せなかった涙。
復讐を果たした後も、決して流さなかった涙。
“明王”を名乗ってからは封じ続けてきた涙が、今になってようやくあふれ出していく。
左之助は、ふらりとよろめき、片膝をつきながら、それを見ていた。
斗亜は拳を握りしめる。
「…やっと…泣けたんだな…」
剣心は、そっと目を伏せる。
斎藤は何も言わず、ただ一本、煙草を取り出した。
火をつけず、指で弄びながら、倒れて泣き続ける破壊僧をじっと見つめる。
“明王”の肩書きではなく、一人の僧として。
戦いは終わった。
拳と拳で語り尽くした末の、紛れもない決着だった。
左之助の荒い呼吸が、迷宮の石壁に湿った音で反響していた。
血の匂いと、拳の衝撃が残した埃っぽさ。
そこに、恵の薬草の青い匂いが混じる。
剣心は膝をつき、左之助の腹に巻かれたさらしをほどき、傷口に薬を塗っていく。
指先は迷いがない。
戦場の手つきだ。
ただ、眉間だけがわずかに寄っていた。
「大丈夫かよ?」
斗亜の声は、いつもより少し低い。
「大丈…いてて…!ちょ、そこ沁みるって…!」
左之助が情けない声を出すと、剣心は「少し我慢でござる」と淡々と返し、薬を丁寧に伸ばした。
薬は粘り気があり、血の筋を押し返すように広がっていく。