第5章 因縁の余燼
「っ…」
左之助の目が見開かれる。
さっきまで動く気配すらなかった巨体の指が、明確な意思を持つかのように震えている。
安慈は、荒い呼吸を整えながら、膝をつき、ゆっくりと上体を起こした。
ゴフッ…。
喉の奥から血が溢れ、床に赤い飛沫を散らす。
震える手を腹部へ持っていくと、着物の内側から、小さな位牌を取り出した。
「位牌…?」
斗亜は思わず呟く。
拳よりも不釣り合いなほど小さな、その木の欠片に、安慈の視線は釘づけになっていた。
「もういい、安慈。勝負はあった」
剣心が静かに声をかける。
安慈の肩が、ぴくりと揺れた。
「正直言って…純粋に力だけなら、お主の方が左之の数枚上でござった」
剣心は、血の跡が残る床に目を落とし、それから左之助と安慈を交互に見る。
「だが、今の左之の拳には、力だけでなく守りたいと思う者達のため、絶対に負けられぬという強い思いが握られている…」
剣心が言い終えたと同時に、斗亜は一歩前へ出た。
「その強さがお前の力…そして“救世”の想いをも上回ったんだ」
斗亜の声は静かだが、はっきりと響く。
「安慈、お前は操の命を助けてくれた。俺はお前が心から悪い奴には思えない。何で“明王”たる決意を固めたのか…そして闘いの場にまで胸に忍ばせる、その位牌は誰のものなんだ?」
安慈は口を閉ざしたまま、位牌を見つめる。
その沈黙を、誰一人として遮らない。
由美でさえ、息を呑んだまま、ただ様子を見守っていた。
やがて、安慈は押し殺したような声で口を開く。
「…これは、救われなかった心清き者達の魂…」
握りしめた位牌が、ギシッと鳴る。
「全ては十年前…“廃仏毀釈”の夜から始まった…」
安慈の話は、明治二年まだ“蝦夷”と呼ばれていた北海道の小さな寺から始まった。
当時の安慈は、今とは似ても似つかない柔和な顔をしていた。
分厚い腕も、今よりはずっと細く、子どもたちの頭を撫でるのにちょうどいい大きさだった。
戊辰戦争で親を亡くし、身寄りのない子どもたち。
彼らを集めて暮らす小さな寺は、雪に閉ざされながらも、笑い声が絶えなかった。