第35章 【第三十話】紅い雪の降る海
その笑い声を聞きながら、ティファは胸元へそっと触れる。
ニルヴァーナは、まだ静かに脈打っていた。
不安は消えない。
アレンのことも。
師匠のことも。
何一つ終わっていない。
それでも。
今だけは。
この小さな温かさに、少し救われてもいい気がした。
食後。
賑やかさの戻りかけた船室を抜け、ラビはひとり甲板へ出た。
夕暮れの潮風が、火照った頬を冷ましていく。
海は静かだった。
まるで、何も起きていないみたいに。
アレンが消えたことも。
リナリーが泣いたことも。
自分が、どうしようもなく感情を乱したことも。
全部、嘘だったみたいに。
ラビは舷側の手すりへ肘を乗せ、深く息を吐いた。
その時だった。
不意に、先程のブックマンの声が蘇る。
『感情に呑まれるな、49番目』
片方だけ覗く翠の瞳が、ゆっくり伏せられた。
『お前は、ブックマンだ』
胸の奥が、嫌な音を立てる。
ラビは小さく舌打ちした。
分かっている。
そんなこと、ずっと前から。
『戦争にハマるな』
低い声が、頭の奥へ響く。
『お前はブックマンの継承者であり、何者でもない』
波音。
冷たい風。
『味方ではない』
指先に力が入る。
『たまたま教団側にいるだけだ』
ぎり、と手すりを握る。
――ブックマンに心はいらないんさ。
そう言い聞かせるたびに、胸の奥が少しずつ冷えていく気がした。
ラビはゆっくり目を閉じる。
「ほんっと、向いてねぇ……」
苦い笑いが、潮風に溶ける。