第32章 【第二十八話】赤い紐の先
マホジャは周囲へ一度だけ視線を巡らせ、声をさらに落とす。
「クロス様がこちらを発ってから、天青楼の周囲には見慣れない顔が増えました。客を装う者。女達へ金を渡し、出入りを探ろうとする者。アニタ様へ直接近付こうとする者」
「師匠を追っている者達……」
「その可能性を、アニタ様は否定しておられません」
胸の奥へ、冷たい緊張が落ちた。
マホジャは、ティファの外套姿を一瞥する。
「貴女をこのままアニタ様の座敷へ通せば、不自然です。外から来た見知らぬ女が、ろくに客前にも出ず、いきなりアニタ様の奥座敷へ通されたと知られたら」
「だから、歌い手として座敷へ?」
「今夜は客が多く、余興に出入りする者も多い。珍しい髪の歌い手が一人増えたところで、不自然には見えません」
マホジャの視線が、静かにティファへ向く。
「ですから、貴女には一曲だけ歌っていただきます。珍しい髪の女が余興に出た、という形にすれば、客も店の者も深くは詮索しません」
筋は通っている。
直接会いに行くよりも、ずっと自然だった。
「……分かりました」
「アニタ様から、貴女の歌については少しだけ聞いております。ですが、今夜必要なのは客を惹き付けるための歌です。力を見せる必要はありません」
その言葉に、ティファは僅かに目を見開いた。
マホジャは何も尋ねない。
けれど、ティファがただの歌い手ではないことを、既に知っているのだろう。
「こちらへ。支度を整えます」