第30章 【第二十六話】灯籠の湖
「……帰ることは、出来ないの」
少女の表情が、ぐしゃりと歪んだ。
「どうして……?」
「亡くなった人は、生きている人の側には戻れないから」
「嫌……!」
少女は、白い灯籠を強く抱き締める。
「嫌……! だって、私、まだ何も言ってない……! お母さんに、ありがとうも……行かないでって言うことも……!」
「……ええ」
私の声も、微かに震えた。
「言いたいよね。もう一度、声を聞きたいよね。置いていかないでって、呼び止めたいよね」
少女は嗚咽を噛み殺すように、息を詰めた。
私は、少女の灯籠へそっと手を添える。
「……私も、大切な人を見送ったことがあるの」
少女の瞳が、涙の向こうで揺れる。
「お姉ちゃんも……?」
私は小さく頷いた。
「だから、寂しいって言っていい。嫌だって思うことも、間違いじゃないわ」
水面へ留まる母親の魂へ、視線を向ける。
「でも、お母さんは、あなたを置いていきたいわけじゃないの。あなたが泣いているから……愛しているから、安心して行けないの」
少女の涙が、ぽろぽろと灯籠へ落ちていく。
「最後に、ちゃんと届くように言葉を伝えてあげましょう。お母さんが、迷わず行けるように」
少女は、長い間答えなかった。
ただ、母親の魂を見つめている。
母親もまた、娘を見つめていた。
言葉はない。
けれど、その眼差しに、少女の張り詰めた肩が少しずつ崩れていく。
やがて少女は、抱き締めていた灯籠を膝へ下ろした。
「……筆」
傍にいた女性が涙を拭いながら、震える手で筆と硯を差し出す。