第30章 【第二十六話】灯籠の湖
私は喉元へそっと指を添えた。
今度は、はっきりと聞こえる。
歌。
母から教わった救済の歌に似ている。
けれど、同じではない。
天へ昇ろうとする旋律ではなく、誰かへ手を伸ばしたまま、どうしても離れられずにいるような、途切れた声。
「……聞こえるか?」
ラビの声が、ごく近くで響いた。
気付けば、彼は舟の中央からこちらへ身を寄せていた。
「ええ」
私は鳥居の向こうを見つめたまま頷く。
「誰かが……残ってる」
ラビの手が、鉄槌の柄を握り直した。
「魂か」
「たぶん。でも……何か、変なの」
「変?」
「引き留められているというより、自分から離れられないみたいに聞こえる」
言葉にした瞬間、胸の奥が鈍く痛んだ。
誰かの悲しみに絡み付いて、魂が留まっている。
そのことだけは、はっきり分かった。
その時だった。
船列の中で、小さな悲鳴が上がる。
振り向くと、少し後方を進んでいた舟の上で、先ほどの少女が立ち上がっていた。
少女の灯籠は、まだ白いままだった。
名も書かれていない。
火も灯されていない。
けれど少女は、その灯籠を胸へ抱き締めたまま、鳥居の向こうを凝視している。
「……お母さん」
掠れた声が、水面へ落ちた。
その瞬間、灯籠の光が揺れた。
鳥居の奥。
霧の中へ、淡い人影が浮かび上がる。
長い髪。
細い肩。
娘へ手を伸ばすように立つ、一人の女性。
胸が、強く脈打った。
生きた人ではない。
けれど、迷いきれずに留まっている魂。
その輪郭は、少女の声に引かれる度、淡く震えていた。