第30章 【第二十六話】灯籠の湖
その時だった。
「――ちょうどよかった。ここにいたんだね」
聞き慣れた声が、回廊へ響いた。
振り返ると、コムイさんが立っていた。
けれど、その顔にいつもの気の抜けた笑みはない。
眼鏡の奥の瞳は硬く、声にも普段とは違う重さがあった。
「ティファちゃん、ラビ、ブックマン。すぐに執務室へ来てくれるかな」
一瞬、空気が張り詰める。
「……何かあったんさ?」
ラビの声が低くなった。
コムイさんはすぐには答えず、神田へ視線を向けた。
「神田くん。君にはティエドール元帥の部隊への合流命令が来ている。支度が済み次第、そちらへ向かってもらう」
神田は数秒黙っていた。
やがて、短く息を吐く。
「……そうかよ」
驚きも、戸惑いも見せない。
任務である以上、受け入れるしかないと分かっている顔だった。
私は神田へ向き直る。
「……神田」
「あ?」
「気を付けて」
それ以上、何を言えばいいのか分からなかった。
けれど神田は、一瞬だけ動きを止めた。
蒼い瞳が、真っ直ぐ私へ向けられる。
「……お前もな」
思いがけず返された言葉に、私は小さく目を見開く。
神田はすぐに視線を逸らした。
「変なもん感じたからって、勝手に突っ込むんじゃねぇぞ」
ぶっきらぼうな言い方。
けれど、その声には以前とは少しだけ違う響きがあった。
私は小さく頷く。
「ええ。分かったわ」
数秒の沈黙。
私は小さく笑った。
「またね、神田」
神田の眉が、ほんの僅かに動く。
返事は短かった。
「……あぁ」
それだけ言って、彼は私達へ背を向けた。