第28章 【幕間】神田/月影の楽園 後編
地下水路を出ると、東の空が僅かに白み始めていた。
夜の歓楽街は、嘘みたいに静まり返っている。
さっきまで耳へ絡み付いていた鈴の音も、もう聞こえない。
乾いた風だけが、石畳の上を静かに撫でていた。
ナジーム達は地下水路へ残ると言った。
被害者の確認。
酒場への調査。
サフィアに関する記録の回収。
やるべきことは、まだ山ほどある。
けれど私は、少し離れた路地で足を止めた。
喉の奥で、『ニルヴァーナ』が静かに脈を落ち着かせている。
嫌な気配は、もうない。
それなのに。
胸の奥には、まだ白い部屋の残像が残っていた。
黒い髪の子。
血に濡れた指先。
神田を呼ぶ声。
私は無意識に、指先を握り込む。
その時。
「……忘れろ」
低い声が落ちた。
顔を上げる。
神田が、数歩先で立ち止まっていた。
こちらを見てはいない。
ただ、夜明け前の空を睨むみたいに立っている。
「今見たこと、全部」
私は少しだけ目を伏せた。
「……話したくないなら、聞かない」
神田の肩が、僅かに動く。
私は静かに続けた。
「でも、忘れろって言われても……無かったことには出来ない」
風が、銀髪を揺らす。
「見てしまったから」
沈黙。
神田は振り返らない。
けれど、拒絶する言葉も飛んでこなかった。