第28章 【幕間】神田/月影の楽園 後編
それでも。
男だけは変わらなかった。
傷の残る頬を見ても。
舞台の端へ追いやられた彼女を見ても。
彼は、同じようにサフィアと呼んだ。
けれど、その優しささえ、富豪には許せなかった。
ある夜。
男は人目のない裏路地へ呼び出された。
待っていたのは、サフィアではない。
富豪の差し向けた男達だった。
「二度とあの女に近付くな」
低い声。
「次に姿を見せれば、サフィアを殺す」
男の顔から、血の気が引いた。
自分がそばにいれば、彼女が殺される。
自分が手を伸ばせば、彼女が壊される。
だから。
男は一度、サフィアの前から姿を消した。
逃げる準備を整えるため。
彼女を守るため。
必ず戻るつもりだった。
けれど、サフィアはそれを知らなかった。
約束の夜。
彼は来なかった。
暗い路地裏で、サフィアは一人きりで待ち続けた。
何度も、何度も。
赤いヴェールを握り締めながら。
足音が聞こえるたびに顔を上げて。
けれど、彼は現れなかった。
――置いていかれた。
その思いが、胸の奥へ冷たく沈んでいく。
やっぱり、自分は捨てられるものだったのだと。
愛されたと思ったことさえ、夢だったのだと。
その頃。
男は、別の場所で捕らえられていた。
サフィアを連れて逃げるために用意した金。
街を出るための通行証。
そのすべてを奪われ、路地裏へ引きずり出される。
「約束を破ったな」
刃が光る。
男は最後まで、サフィアの名を呼んでいた。