第28章 【幕間】神田/月影の楽園 後編
その時。
男が突然、顔を上げた。
虚ろな瞳が、真っ直ぐ神田へ向く。
「……ユウ?」
部屋の空気が、ぴたりと凍った。
神田の指先が止まる。
男は、神田本人を見ているわけではない。
その向こうに、別の誰かを見ている。
いや、違う。
サフィアが、男の口を借りて神田の記憶へ触れようとしている。
そう感じた瞬間、背筋が冷えた。
「ユウ……置いていかないで……」
「……黙れ」
神田が低く吐き捨てた。
けれど、その声は普段より僅かに硬かった。
男は怯えたように肩を震わせる。
「違う……俺は、あいつを残してなんか……」
言葉が途切れる。
次の瞬間、男の顔が恐怖に歪んだ。
「いやだ……来るな……!」
私は反射的に駆け寄った。
「落ち着いて!」
肩へ触れた瞬間。
どくん、と『ニルヴァーナ』が脈打つ。
視界が揺れた。
暗い部屋。
窓辺に立つ、赤いヴェールの女。
男へ差し伸べられる、白い手。
――置いていきたくないのでしょう?
甘い声。
――なら、一緒に来ればいい。
男の視界が歪む。
そこにいたはずの女の姿が、彼にとって大切な誰かへ変わっていく。
泣きそうな顔。
伸ばされる手。
「置いていかないで」と震える唇。
男が泣きながら、その手へ縋ろうとする。
――もう離れなくていい。
けれど、その指先が触れた瞬間。
柔らかな笑みが、黒く歪んだ。
赤いヴェールの奥で、サフィアの口元が裂けるように笑う。
次の瞬間、男の胸元へ黒い影が突き刺さった。