第2章 【第一話】雪に残る歌
問い返した声は、母へ届かなかった。
母の指が、力なく落ちる。
黒い侵食が一気に広がり、身体の端から灰へと崩れていく。
「いや……!」
私は母の身体へ縋りついた。
「嫌! お母さん! 待って……置いていかないで……!」
母の唇が、最後にほんの僅かに動いた。
声にはならなかった。
けれど、私の名前を呼ぼうとしてくれたのだと分かった。
それを最後に、母の瞳から光が消えた。
耳障りな笑い声が、頭上から降ってくる。
顔を上げる。
母を殺した異形が、こちらを見下ろしていた。
その笑みには、何の感情もない。
ただ、人が壊れていく姿を面白がるだけの、醜い愉悦が浮かんでいた。
母の身体は、今も私の腕の中で灰へ変わっていく。
それなのに、異形は一歩、こちらへ踏み出した。
次は私の番なのだと、幼い私にも分かった。
逃げなければいけない。
けれど、動けなかった。
母の身体から手を離すことなど、できるはずがなかった。
「……来ないで……」
異形が、雪を踏み砕く。
「来ないで……!」
振り上げられた腕。
母を貫いたものと同じ、黒く禍々しい刃。
それが今度は、私へ向かって振り下ろされる。
その瞬間だった。
喉の奥が、焼けるように熱を帯びた。
「……っ!」
息が詰まる。
胸の奥から、何かが激しくせり上がってくる。
痛い。
苦しい。
けれど、それ以上に。
母を奪われた悲しみが。
母を壊した存在への怒りが。
消えてしまう母を、どうにか繋ぎ止めたいという願いが。
一つになって、喉の奥で弾けた。
知らないはずの旋律が、唇から溢れ出す。
澄んだ音が、雪の降る世界へ響いた。
幼い頃から、母が聞かせてくれた子守唄に似ていた。
けれど、それよりもずっと深く、遠く、悲しい歌。
祈りのようで。