第27章 【幕間】神田/月影の楽園 前編
Side:神田
パリでの任務以降、神田は妙に苛立っていた。
鍛錬場に立てば、いつも通りに振るっているはずの六幻が僅かに重い。食堂へ行けば、意識するより先に銀髪を探している。廊下ですれ違えば、視線だけが勝手にその背を追った。
くだらない。
そう切り捨てたいのに、身体の方が言うことを聞かなかった。
人気のない洗い場で、神田は低く舌打ちした。
石造りの流し台へ、水音が冷たく響く。袖を捲った左腕には、薄く赤い血が滲んでいた。鍛錬中に浅く裂いたらしいが、いつ付いたのかもよく覚えていない。
この程度、放っておけば塞がる。
神田は気にも留めず、濡れた布で乱暴に血を拭った。
その瞬間。
脳裏へ、深紅のドレスが翻る光景が蘇った。
舞台の上で、腕を裂かれながらも歌を止めなかった女。
死者の幻へ手を伸ばす観客達へ、必死に声を届け続けた姿。
――残された者が、苦しくても明日へ進むこと。
――その足を支えるものこそ、愛よ。
あの声が、まだ耳の奥へ残っている。
生きることを、あれほど真っ直ぐに語る女を、神田は知らなかった。