第9章 【第八話】記録者の選択
翌朝。
教団の長い廊下を歩く足音が、いつもより低く響くように感じた。
窓の外では、どんよりとした雲が空を覆っている。
今にも雪が降り出しそうな冷気が、石造りの壁を伝って肌を刺した。
昨夜、書庫で聞いた声が、まだ耳の奥に残っている。
――セトラの娘へ向けた情は、捨てろ。
――お前自身の願いではない。
あれが、ラビにとって何を意味するのか。
私には、まだ全ては分からない。
ただ。
彼が私の隣に立とうとすることが、決して簡単なことではないのだということだけは、分かってしまった。
「あ、ラビ」
朝の食堂へ向かう途中。
前方に見慣れた赤い髪を見つけ、私は思わず声を掛ける。
「おはよう」
ラビが振り返る。
その瞬間、胸の奥が小さく冷えた。
「おー、ティファ。おはよう」
ひらひらと振られる手。
細められた翠の瞳。
口元へ浮かぶ、明るく人懐こい笑み。
けれど、それは。
昨日、医務室で見せてくれた、少し困ったような本物の笑顔ではなかった。
あの任務で見せた、剥き出しの熱でも。
私を案じる、不器用な焦りでもない。
出会った頃の彼がよく浮かべていた、隙のない笑顔。
胸の内へ何一つ触れさせないための、綺麗な仮面だった。