第9章 【第八話】記録者の選択
「……ラビ」
小さく名前を呼ぶと、彼の睫毛が僅かに揺れた。
「何さ?」
笑おうとする声。
けれど、その笑みは先ほどより少しだけ固かった。
私は、彼の手に触れたまま、静かに口を開く。
「まだ、怖いのね」
ラビの動きが止まった。
「……何が?」
「私が、またあなたの前から消えてしまうことが」
手の中の林檎から、透明な果汁が一滴、彼の指先を伝って落ちた。
白い皿へ、小さな音もなく染み込む。
沈黙。
ラビは、すぐには何も言わなかった。
笑うことも。
誤魔化すことも。
いつものように軽口を返すこともできずに、ただ差し出したままの手を見つめている。
やがて。
彼は、自嘲するように口元だけを歪めた。
「……バレたか」
軽く言おうとしているのに、声は上手く笑えていなかった。
「情けねぇよな」
掠れた声が、静かな医務室へ落ちる。
「隣で戦うって決めたのにさ。ティファが目の前にいると、どうしても思うんだよ」
ラビの指が、僅かに強張った。
「今度こそ、手ぇ離したら消えるんじゃねぇかって」
胸の奥が、静かに痛んだ。
雪原で、彼は私を守ろうとした。
私は、その背中へ隠れるのではなく、隣へ並びたいと伝えた。
ラビは受け入れてくれた。
二人で戦って、二人で帰ろうと。
そう約束した。
けれど。
約束を交わしたからといって、彼の中に刻まれた恐怖まで、すぐに消えるわけではなかったのだ。