第6章 天下の及川さんでも本命の前ではこうなっちゃうよねって話
「ところでお前、さっき偶々、ほんと偶々見ちゃったんだけど。何、彼氏でもできたわけ?」
「え?できてないけど?」
最初は声をかけるタイミングが悪いのかなと思ってた。及川が私に向けるトーンや雰囲気が他とは違って、言葉そのものはそこまでキツくないのに棘が含まれているような気がしてた。
勘違いかも、そう自分に言い聞かせるにはあまりに続く月日の長さに、そうかなるほど、私はこの男に嫌われているんだと察した数ヶ月前。
それなら別に及川じゃなくてもいいじゃん。なんて割り切れたらどれほど良かったか。冷たくされても片思いしてるって、ほとほとドMが過ぎるのは自覚してる。
「これも偶々聞こえたんだけど、この後一緒に帰る約束してるんじゃないの」
「……あー、そうだね。2年で一緒のクラスだったから仲良いんだよ」
「ふーん。……よかったね、楽しそうで何よりだよ。でもまぁ、ああいう男を彼氏にしたいとか思ってるんなら、見る目うたが、」
へんな所で及川の声が途切れたのは、きっちり50分後に戻ってきた先生の、扉を開ける音のせい。
用紙を渡して筆記用具を鞄に入れながら思う。きっとあのまま遮られることもなく聞いていれば、それこそ聞き捨てならない言葉が及川の口から盛大に飛び出していたんだろうけど。
それよりいつも、へー、か、ふーん、しか返ってこなかったキャッチボールもどきが及川の饒舌っぷりに後押しされてちゃんと会話になっていたことに驚いた。
後の戸締りよろしくな。やる気があるのかないのか分からない先生のだれた声が教室に響いて、再度密室に残される2人の空気は言わずもがなさっきよりも格段に重い。
好きな人と2人っきり♡きゃっ。なんてお花畑で走り回れるほど神経図太くできちゃいない。むしろ今すぐ教室から飛び出してしまいたいし、そうすることが今できる最良の選択だと思う。