第9章 【伏黒恵】君に響くカンパニュラ II **
二人と別れて、私はなんとなく人通りのある方へ歩き出した。
本当は、買いたいものなんて特にない。
ただ、まっすぐ高専へ帰る気になれなかっただけ。
恵くんに、どんな顔をして会えばいいかわからない。
声を出したこと。
キスをしたこと。
抱きしめられたこと。
それから、私たち最後まで。
昨夜のことを思い出しただけで、身体が熱くなる。
恵くんから逃げるように部屋を抜け出したのは、数時間前のこと――。
目を覚ました時、最初に見えたのは恵くんの寝顔。
すぐ目の前にあって、驚いて息が止まりそうになる。
規則正しい寝息を立てながら、まだぐっすり眠っている。
こんなに近くで寝顔を見るのは、久しぶりかもしれない。
最後に一緒に寝たのは……津美紀ちゃんが呪われた日の夜だったな。
恵くんを起こさないようにそっと体を起こすと、あちこちに昨夜の余韻が残っているのが分かる。
夢じゃない。
本当に恵くんとしたんだ。
ずっと、恵くんとこんなふうになれたらって願っていた。
それが叶ってしまった。
なのに、どこか複雑で。
恵くん、どう思ってるんだろう。
昨日のあれは、もしかして――。
ううん。
恵くんには、彼女がいるんだもん。
何を期待してるんだろう、私。
ベッドから抜け出して、床に落ちていた自分の服を拾う。
昨夜借りた恵くんのTシャツと洗って返すはずだったTシャツを、丁寧に畳んで机の上へ置いた。
着替え終わって、部屋を出る前にもう一度だけベッドを見る。
本当は、このまま恵くんの隣にいたかった。
こんな風に一緒にいられるのは、もう最後だと思うから。
(恵くん、大好きだよ)
私は音を立てないようにドアを開けて、恵くんの部屋を出た。
カフェにでも入ろうかと歩いていたはずなのに、気づけば、また恵くんのことばかり考えていた。
ポケットからスマホを取り出すと、時刻は朝の十時を少し回ったところだ。
恵くん、もう起きたかな。
昨日のこと、後悔してるかな。
もう忘れちゃった?
自分で忘れてって言ったのに、恵くんの中に、私のことが消えずに残っていてほしいなんて思ってしまう。
考えれば考えるほど、足は高専とは反対の方へ向いていった。