第4章 【直哉×無関心女中】
「そうですね、知ることは無いと思います。」
それだけだ。彼女の瞳には、羨望も、悲壮感も、あるいは隠し持った野心の一片すら映っていない。
「…ほんま、張り合いないわ」
直哉は苛立ちを隠そうともせず、彼女のすぐ横の柱を扇の端で叩いた。
は、幼い頃からこの閉鎖的な「禪院家」という異界の、そのさらに裏側で育ってきた。
母親の背中を見て育ち、義務教育は受けさせてもらえたが、高校を中退してからはこの屋敷の土の一部になったも同然だ。
世の娘たちが色めき立つ流行歌も、煌びやかな化粧品も、誰かを想って胸を焦がすような自由も、彼女の辞書には存在しない。
「お前、怖ないんか? 一生、この古臭い屋敷の床這いずり回って、外の世界一つ見んと死んでいくんやで」
直哉の言葉は、鋭い刃のように彼女の「無知」を切り裂こうとする。だが、は静かに雑巾を絞り直した。
「……見えなければ、羨ましいと思うこともございませんから」
その淡々とした言葉は、直哉がどれだけ贅沢を並べ立てても、彼女に届く「共通言語」が存在しないことを示していた。
外界を知らなければ、奪われたという感覚すらない。
彼女にとっての平穏は、今日磨き上げた廊下が明日も変わらずそこにあることだ。
直哉は、その徹底した「無欲」が気に入らなかった。
自分がこれほどまでに多忙で、高貴で、刺激に満ちた世界に生きているというのに、目の前の女はその眩しさに目を細めることすらしない。
「……傲慢やなぁ、。
知らんことを正当化して、自分を守っとるだけや。
お前はただ、知る勇気がない臆病者なんや」
吐き捨てるように言い残し、直哉は今度こそ踵を返した。
背後で再び、シュッ、シュッ、と床を擦る単調な音が響き始める。
その音が、まるで自分という存在を、彼女の静寂な世界から「汚れ」として拭い去っているかのような錯覚に陥り、直哉は不快そうに眉を寄せた。