第1章 【直哉×働き者女中】
「あ……」
声にならぬ吐息を漏らし、は脱兎のごとくその場を離れた。背後から突き刺さる直哉の冷ややかな視線を背中に感じながら、逃げ込むように自分の部屋へ戻り、襖を閉める。
一晩中、目は冴え渡ったままだった。
遠くで聞こえる鶏の声も、朝餉の支度を告げる井戸の音も、今の彼女にとっては自分を切り離していく世界の鼓動でしかない。
翌朝、一睡もできぬまま重い体を引きずって直哉の居室へ向かうと、開け放たれた廊下の先で、彼が別の女中に指図しているのが見えた。
「……これ、奥に運んどけ。あと、あっちの文机も片付けとき」
「はい、直哉様。ただちに取り掛かります」
女中は甲斐甲斐しく立ち働き、直哉の言葉を一つも漏らさぬよう緊張感を持って応じている。
その光景は、ごく当たり前の主従の姿だった。
(……ああ。あの人は、必要とされているんだな)
胸の奥が、焼け付くように痛んだ。
かつて自分も、あの輪の中にいた。
誰かしらに罵倒されながらも、誰かのために食事を作り、誰かのために場を清めることで、この巨大な屋敷の末端に繋がっていた。
今の自分はどうだ。
ただ生かされているだけ。直哉という男の、奇妙な執着を満たすためだけの置物。